五花街それぞれに年中行事があり、日程や行事内容も違っています。こちらには、祇園甲部の年中行事を記載してみました。
始業式1月7日
一般には、「七草」の日だけど、祇園では仕事始めとなる。始業式は、歌舞練場にて舞妓・芸妓・お茶屋が一同に会し、全員で「芸妓・舞妓の誓い」という五ヶ条の誓いを全員で唱和する。
芸妓は、高島田に髪を結い上げ、赤玉のかんざしや本物の稲穂のかんざしをさす。
舞妓は、京風の奴島田に髪を結い上げ、1月のかんざし「松竹梅」や本物の稲穂のかんざしをさす。
初寄り1月13日
祇園の舞妓や芸妓の舞(おどり)の家元「井上流」の家元へ新年の挨拶に行く日。この日、井上流の家元宅に、大勢の門弟が訪れる。家元からは、お屠蘇、お雑煮が振る舞われる。
節分祭奉納舞踊:2月3日
八坂神社にて
都をどり:4月上旬
例祭神賑奉納舞踊:4月16日
平安神宮にて
五花街合同公演:6月下旬
みやび会:7月初旬
花傘巡行奉納舞 (隔年参加):7月24日
八朔:8月1日
温習会:10月上旬
時代祭参加(五花街年交代):10月22日
かにかくに祭:11月8日
祇園をこよなく愛した明治の歌人吉井勇を偲ぶための集いの日です。「かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる」の歌碑の前に、芸妓、舞妓が参列し献花などが行われます。見学は自由で料金などはいりません。
祇園小唄祭(五花街年交代):11月23日
南座顔見世総見:12月初旬
事始め:12月13日
ひと昔前までは10代前後が当たり前だった。今では、早い子で、中学卒業後、若しくは高校卒業後だそうだ。日本では、「芸を始めるのは6歳から」といわれているので、舞や三味線、唄などの芸妓を習うのは早ければ早い程良い。
舞妓になるためには、まずは「置屋」に所属しなければいけません。
「置屋」とは、住み込みのタレント事務所みたいなもの。そこの所長さんが「女将」(おかあさんと呼ばれる)である。
女将さんとの面談に合格すると、晴れてこの置屋に住み込むことになります。
簡単な身の回りの物だけ用意して、舞妓志願者は置屋に住み込むことになります。これで、舞妓志願者と女将は親子関係を結ぶことになる。
舞妓志願者の生活に必要な物全ては、女将が用意し、ここでの生活が舞妓志願者が舞妓になる為の修行の場となります。
舞妓になれるよう女将に日々仕込まれるので、この時期の舞妓志願者を「仕込み」と呼びます。
仕込みは芸事を身に付為に専門学校に入学する。その費用も全て女将が負担するのである。何ともうらやましい話である。
仕込みから舞妓になり襟替えして芸妓になるまでを「年季」というのだが、この期間3年来から5年前後といわれています。
この年季の期間、舞妓は置屋の為に働き、舞妓が一本立ちする為に女将が出してくれていた費用を返していくのである
年季の間は舞妓に報酬はありませんが、女将からおこずかいはもらえます。舞妓を一人育てるのにかかる費用は3000万円以上かかるそうです。この費用を舞妓が女将に返すには、何年かかるのだろうか?
舞妓さんになると、帯やかんざし、履物が仕込みさんの頃とは変わります。着物は振袖で、帯は舞妓さんの一番の特徴とも言われています。長さが足首あたりまでありそうな長い帯で、「だらりの帯」と言います。このだらりの帯は5~6メートルもあるそうです。
かんざしは、4月だと「桜」というように季節ごとにお花をあしらったものをつけたり、1月の始業式など特別な行事の時は、「稲穂」のかんざしを付けたりします。
舞妓になって一年未満なら、お顔の左にすだれのようにぶら下がってる髪飾りをし「ぶらぶら」口紅は下唇しか塗っていません。
履物は「おこぼ」という高さ10㎝はある、丸みをおびた下駄を履きます。
お座敷遊びでは、舞妓さん・芸妓さんの芸を見る他、ゲームなどをします。
芸妓さんの弾く三味線に合わせて踊ったり歌ったりしながら、じゃんけんをし、負けた方が、罰としてお酒を飲む「野球拳」の他、「金毘羅船々(こんぴらふねふね)」、「陣取り」など、見るだけではなく一緒に遊べます。